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17世紀半ば、江戸時代初期、剣に活き、生きた宮本武蔵の武道書。白和スタイルの抄として撰し詩篇に仕立てました。命がけの兵法の知恵は、現代のわたしたちの思索にさまざまなヒントを与えてくれることでしょう。
般若心経のお経としての核となるマントラ(真言)部分を除いた抄です。その冒険はこのガジェットが経本でなく、思考のための道具であることを鮮明にしています。そしてもうひとつ、空を空点というあらたなコンセプトで捉え返す挑みもしています。
「善の研究」を純粋経験として知的に直観する。その営みに近づこうとして、わたしたちは西田幾多郎の文章を抄に撰して詩(うた)にしました。 その試みが白和抄そのものの発想につながりました。シリーズの原点となった試みをどうぞ。そしてあなたにもここから新たな発想や着想が生まれますことを。
すでにあまたある「老子」翻訳のなかにあって、なぜさらに? それは老子の中軸ともいえる「為無為」を、こんにちの大都会に生きる人間としてあえて詠み直すことによって、まさにこの白和抄詩篇『老子』があらたなかたちをなしたからでした。それはなにゆえに ?
「老子」ともつながる天心の古典"The Book of Tea"。これが常に「茶の本」と書名化されてきた不思議。それではまずもって紅茶や焙じ茶のことを語っているかのよう、、古き時代の映画の台詞なら「茶をくれ!」という言い方は耳にすれど、わたしたちは普段その呼び捨ては本能的に避けているよう。そこにわたしたちのこの特殊な飲料にして作法への敬意がうかがえるように思えます。その原典にして原点をここに。
名ばかりの改革が大方である現実に生きていると、生涯自説の改革に果敢に取り組みつづけたフロイトの心的エナジーには唯ただ驚嘆というしかありません。その思想晩期の画期をなした『快原理の彼岸』はまさに触発の宝庫といえましょう。